川から立ち去ったは良いが、今日は早いうちに十分な収穫を得てしまったせいで、これからいったい何をしようかと迷ってしまうくらいに時間が余ってしまった。

 掃除でもしていようかと最初は思ったが、実は昨日家の掃除をしたばかりであり、特に念入りに掃除をしたせいで、ほとんど汚れている所は無い。

今朝はナコルルに、いつも以上に家が綺麗になっていると褒められた事を、覚えている。

わざわざ昨日やったのに今日もやるというのもなんとなく嫌だったミカトは、なんとなくこの辺りを探索することにした。

 あても無くふらふらしていると、いつの間にかミカトの足は、大きな滝のふもと近くで止まっていた。ここは、ナコルルのもう一人の幼馴染であるマナリが、誰の目にも触れずに歌の練習をしている場所である。

 マナリは村の歌い手の家系に生まれた娘であるが、村のみんなからは「マナリは歌が下手だ」「ものすごい音痴だ」といわれている。ついでに「料理が下手だ」とも・・・。

そして、マナリ自身も自分は歌が下手だと思っているために、こうして誰も近づかないようなところでひそかに練習している。

そんなマナリはとても努力家で、暇さえあれば歌や料理の練習をしているということを、ミカトは知っている。そして、実はマナリは歌がうまいんだということも知っている。それは、以前ミカトがここに来た時にも、マナリはここで歌の練習をしており、その時にマナリの歌声を聞いたのである。

その歌声を聞いた時ミカトは、マナリの歌は下手なんかじゃない、むしろすごくうまい。そしてすきとおるような綺麗な声だなぁと思い、どうしてマナリを含むほとんどの人が、マナリの歌声を聞いたことも無いのに、マナリは歌が下手だなんていうのだろうかと疑問に思い、どうしてマナリは自分の歌を人に聞かせたくないのか不思議で仕方ない。

よほど自分の歌声を人に聞かれたくないらしく、少し離れた所で練習すれば村までは聞こえないにもかかわらず、滝の音で自分の声を断とうというのはたいした徹底振りである。

彼女の歌声を聞いたことがあるのはミカトだけで、マナリとミカトの二人だけの秘密だった。

前に出て堂々と歌を聞いていたいのだが、マナリは誰かいると分かるとすぐ歌をやめてしまう。その為折角の歌声も、ほとんどが滝の音でられてたいして聞こえない。 

どうにかして少しでも歌声が聞こえるように考えていると。

「・・・ッ!だ、誰かいるの!?」

 普段はおっとりしていて、ミカトの目から見てもトロイと思うマナリが、こういう時だけはすごく敏感になるというのは、呆れる程すごいと思った。そして、その集中力をどうして歌や料理に回さないのかが不思議でならなかった。

「ごめん、僕だよ」

 ミカトは素直に、滝の影から顔を出した。

 あのまま逃げ去っていても、きっと自分のことがばれることはなかっただろうが、マナリはその相手が分からないと、きっとこれからも、自分の歌を誰かに聞かれてしまったと悩み続けるだろう。

「な、なぁんだ、ミカトだったのか。はぁ、よかったぁ。他の人じゃなくて」

 よほどミカト以外の人間に聞かれるのが嫌らしい。誰の目にも心の底から安心しているように見える。なぜミカトにだけは聴かれていいのかと言うのは、半分諦めであった。

「もぉ、私がここで練習してるって分かってるくせにぃ」

 少しだけ怒っている様子だ。たとえミカトでも、そんなに何度も聴かれたくないらしい。

ミカトもその場では反省するのだが、ミカトの尽きることのない好奇心が、何度もマナリの歌の練習場に足を運ばせていた。

「ごめんなさい。でも、やっぱりマナリの歌を聴いてみたいよ」

 すると今度は顔を真っ赤にして、両手のひらをミカトの前に突き出し、その手のひらを無造作にふって拒む。

「だ、ダメだよぉそんなの・・・恥ずかしいもん」

「でも、あれから随分と練習してるみたいだし、上達したんじゃないの?」

「うっ・・・」

 今度は右手で握りこぶしを作り、それを口元に当てて後ずさる。その目には少しだけ涙が浮かんでいる。

マナリにとってはそうではないらしい。今でも十分マナリの歌は上手だと思っているのに、マナリ自身は自分の歌を気に入っている様子はなく、いったいどれだけうまくなれば満足いくのか、全く見当も付かなかった。

「うう、どうせあたしなんか、いつまでも歌が下手ですよぉ」

 ついにはいじけてしまった。こうなってしまうと、ミカトも対応に困ってしまう。いつものことながら扱いづらかった。

どんどん深みにはまっていってしまう。ここら辺で話題を変えることに決めた。

「そういえば、ナコルルとはどう?なにか変わったことはない?」

「え?変わったことって?」

 ミカトが話題を変えると、マナリは涙を浮かべたままミカトの話に乗ってきた。

「うん、ナコルルが明るさ取り戻してから結構経つけど、何か変わった事はない?」

 マナリは顎に手を当てて考え込む。考え込まなきゃ分からないくらいのことだから、きっとたいした変化もなかったのだろう。ミカトはそう勝手に判断してしまった。

「うぅん、特に変わったことはないよ。いつも通りのナコルルだよ」

 予想通りの答えが返ってきた。それどころか、マナリは、以前ナコルルが本気で笑えなかった時期があったことすら忘れているんじゃないか?とまで思ってしまった。

「でも、本当にあの方法でナコルルに元気出させるなんて、すごいよねぇ」

 流石にそれは忘れていなかったらしい。ミカトは心の中で、自分の早とちりを詫びた。

「あれは僕も、企画しといてなんだけれど、あんまり自信はなかったよ」

 以前あれだけ苦労して、悩んで、努力した事も、今となってはいい思い出となっていた。それは、自分達がやってきた事が結果として出てきたからなのだろう。目的を果たした今では、もうその苦労が過去の事になっているし、みんなの苦労が笑いに変わったのだから、これ以上考えるのを辞めていた。

「とにかく、ミカトはナコルルと一緒に住んでるんだから、リムルルと一緒に、ナコルルのことを支えてあげてね」

 先ほど、ヤンタムゥにも似たような事を言われた様な気がした。言っている事は多少違うが、マナリもヤンタムゥも、ミカトに伝えたいことは同じなのだろう。

「・・・うん、分かったよ」

 ナコルルは、マナリとヤンタムゥの二人にこれだけ大事にされている、それが分かって二人の期待を絶対に裏切らないように頑張ろう、そう自分に言い聞かせる。

「あたしもナコルルみたいに、急に笑えなくなったら、ヤンタムゥはあたしのために何かしてくれるかなぁ・・・」

 マナリが少し沈んだ顔でポツリと呟いた言葉を、ミカトはよく聞き取ることが出来なかった。

聞き返そうかとも思ったが、小声で言うくらいだから、どうせまた聞き返してもはぐらかされるだけだ。

「・・・何か、臭わない?」

 マナリがいぶかしげな表情でミカトに聞いてくる。それでミカトも変な臭いに気付いたらしく、目をつぶってくんくんと鼻を鳴らすと、なんともいえぬ生臭い匂いが漂ってきた。

「ああ、さっき魚を釣ってきたんだよ」

 そう言ってミカトが、先ほど釣った魚を入れてある篭をマナリの前に突き出す。すると・・・。

「うっ!?」

二人そろって小さなうめき声を上げ、顔をしかめて鼻をつまんだ。

その篭から発せられている臭いは、単なる魚の臭いとは違う、明らかにこの魚は腐りかけている。おまけにその篭には数匹のハエがたかっていた。ミカトは驚いて篭から手を放してしまった。

「ミガト、チャウとサガナノワダドッダ?」

 鼻を押さえていて、間の抜けた声になっているマナリの言葉に、ミカトは首を横に振る。

 ミカトが、一旦篭を離れた場所に置いてから、マナリがミカトに原因を話し始める。

「魚が腐るのって内臓に原因があるから、ちゃんとワタを取ってプー(食料庫)に保存しないといけないんだよ」

 今までミカトは、川で釣った魚はいつもヤンタムゥや、イレシパクル(孤児院)に住んでいるホクテと一緒に、その場で焼いて食べていたため、保存に関してはほとんど何も考えていなかった。

その時ふと、ヤンタムゥが担いでいる魚は、いつもお腹が切り開かれている事を思い出した。

今思えば、あれは魚のハラワタを取り去った後だったからなのかもしれない、ミカトはそう思った。

「うう、折角釣ったのに・・・」

「しょうがないよ、ほら、まだ次があるから」

 心底残念そうなミカトをなだめながら、ミカトとマナリは一緒に、腐りかけの魚を埋葬して行った。

 

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