第二章 変動
どことなくナコルルと似た雰囲気を持つ、ミカトに“レラ”と名付けられた少女は、一本の木の上で、なにやら複雑な表情を浮かべていた。
レラの耳には先ほどから、止まることなく悲鳴や苦痛の叫びが飛び込んでくる。レラの目には、人間に頭を押さえつけられて、背中にナイフを突き立てられているところ、空を飛ぶ鳥が、人間の放った矢に射抜かれて、真っ逆さまに落ちていく光景が飛び込んでくる。
これで、自分の目的を果たすことが出来る。それはレラの中で確信となる。しかし、結果はどうあれ行程がレラの望む形ではなかった。レラの目的、ナコルルを戦場へと駆り立てること、闘争心を植えつけること、それは、人間に対する憎悪がきっとそうさせることだろう。しかし、そのために払った犠牲としては多すぎた。レラ自身は、動物たちが人間の手によって無闇に殺されるのは、決して望んでいたことではなかった。
レラの目が人間の表情を捉えた。それは狂気に満ちている。あれはまるで、天草の魔に侵食された後のような・・・。
「私の言葉に耳を貸しておけば、こんな・・・」
ナコルルは、一本の木の根元で両膝を抱えて座り、膝の間に顔をうずめていた。ナコルルの目から溢れ出してくる涙が、スカートの裾に染みを広げていっていた。
いつもと変わらない、自然が豊かで、のどかで、風の気持ちいい空間、この地面の下には、十数匹もの真新しい動物の死骸が眠っているのを除けば。そのことを、ナコルルはよく分かっていた。なぜなら、それらを埋めたのはほかならぬナコルルなのだから・・・。
ナコルルの手も、服も、顔も、髪の毛も、地面を掘ったりしているときに付いた土などの汚れが落ちてないままだった。
(どうして、どうして、こんな・・・)
ナコルルの頭の中では、先ほどのここの惨状が焼きついて離れなかった。
今でこそ何事もなかったかのように見えるが、先ほどまでは、ところどころに、大小様々な動物、鳥などの死体が、おもちゃ箱をひっくり返してうち捨てられた玩具の様に、無造作にそこら辺に転がっていた。しかも、どの死体にも矢が突き刺さっていたり、鋭利な刃物のようなもので切られた跡等があり、明らかにこれは人為的なものにしか捕らえられなかった。
それは、人の手によって行われた殺戮だった。しかも、カムイコタンからそう遠くない場所で・・・。
ナコルルにとって、もう一つ気がかりな点は、死体がそのまま地面に放置されていたということだ。
本来人間が動物を殺すのは、主に食料や毛皮を求めてのことだ。なのに、動物を殺すだけ殺し、その獲物を持ち帰ることもしない。それは、この動物たちを殺した理由が、食料や毛皮を求めてということではなく、ただ殺しただけということである。大方、遊び半分で動物たちを狩っていたのだろう。
ハンティングといえば聞こえはいいが、単なる弱いものいじめである。
(酷い・・・酷いよ、こんなの)
今自分が座っているこの地面の中に、悲しみを背負ったまま殺された動物たちが埋まっていると思うと、吐き気をもよおすほどやるせなかった。そして、もう少し自分が早くたどり着いていれば、少しでも被害が縮小できたかもしれない。そう思うと、自分のふがいなさを呪い、膝を抱える腕に力を込める。
(私は大自然の巫女、大自然をかす者からそれを守るための存在)
守れなかった。今地面の下で眠っている者たちを守ることの出来なかった自分は、巫女としてふさわしくないとさえ思う。
ナコルルの自分を攻め立てる言葉はいつしか、人間たちへの非難に変わっていっていた。
人が無闇に動物を殺したりしているというのは、情報としてナコルルの耳にも入ってきていたが、心のどこかでは、本当は人間はそんなんじゃない、悪いのはごく一部の人間だけだ。信じていたのに、直接その光景に出くわすことにより、たとえ一部の人間だろうが許せない。
ナコルルの中で、人間への見方が逆転してしまった。人間とは、大自然にとって大きな敵である。そんな風にナコルルの中に認識付けられてしまった。そして、人間という絶対的な破壊者に対しての、限りない憎悪の炎が燃え上がる。
(許さない、こんなことする人間、絶対に許さない・・・)
『そうね、これは決して許されることではないわ』
まるで、心の中で呟いた言葉に、相づちを打つような声がナコルルの耳に入ってくる。
ナコルルが顔を上げると、漆黒の衣装で身を包んだ少女と、その少女の1.5倍はあるだろう狼がたたずんで居た。その少女の目は、膝を抱えてうずくまるナコルルに、非難じみた視線を送っていた。
「あなたが平和に酔いしれている間に、人間はより残忍になっていったわ」
今回のことでよく分かった。人間は忌むべき存在、これ以上放っておけば、自然は人間達の手によって破壊し尽くされてしまう。それを止めなくてはならないのが、巫女であるナコルルの勤めである。
「これで分かったでしょ?あなたは戦いに出るしかないの」
以前の人間は、天草に操られての自然破壊であり、天草を倒して元に戻ったからまだ許せたものの、今回は人間が魔に侵食されているという話もない。ということは、人間が自分の意思でやっているというのであれば、それはとても許せるものではなかった。
「復讐しなさい。でないと、これからも被害が広がっていくだけ。大自然と共に生きられない人間なんて、排除してしまいなさい」
いつものナコルルなら、そのようなことをいわれたところで、自分にはそんなことは出来ないと言って否定してきただろう。だが、人間への憎悪を包み隠さずさらしているナコルルは、少女の悪魔の囁きに自然と耳を傾けていた。まるで、自分がこれからやりたいと思っていることを、少女の言葉に惑わされたと、自分に言い訳でもするかのように・・・。
「人間は、許せない・・・」
さっきからうわごとのように呟くナコルル。
今まで自分が命を賭けて守り抜いてきた自然を、人間はいとも簡単に踏みにじってしまう。そんな人間達に純粋な殺意が膨れ上がっていた。
「もしあなたにその気があるのなら、もう一度ここに来なさい」
その一言だけを残して、黒ずくめの少女と狼は消えていった。
「・・・・・・早く、帰らなきゃ」
魂の抜けたままのナコルルはそう呟き、ゆらゆらと立ち上がって村の方向へ歩き出した。