どう歩いたのかも全く分からないというのに、不思議とナコルルの足は自分の家まで向かっていたらしい。目の前の家の吹き抜けから火の光が漏れている、ミカトかリムルル、ないしは二人揃って家の中にいるはずだ。

 やっと帰ってきた、ナコルルは安堵の溜息をつき、すぐ側の入り口から中に入ろうとしたとき・・・。

「今日釣った魚がさ、篭の中で死んでて、腐っちゃってたんだ」

 話の途中からしか聞いてないせいで、話の全体は理解出来ていないが、ミカトが、今日釣った魚を無駄にしてしまったということは分かった。

「それで今日釣った魚だめにしちゃったんだよ・・・」

「全くミカトは間抜けなんだから」

 ミカトが後日談のように話して聞かせ、リムルルがそれに野次を飛ばす。

 胸の鼓動が激しくなり、それが苦しくて両手で胸を押さえる。息苦しくなってその場で膝を突き、目玉が飛び出すのではないかというほど見開かれた目を地面に向ける。

 ナコルルの心を、さっき人間に対して抱いた感情と、少しばかり似た感情を抱いた。それは、魚を無駄死にさせたミカトに対しての怒りだった。

ミカトのことだから子魚を釣ったということはありえないだろう。だが、大人の魚とて同じ自然界の生き物、それを無駄死にさせたのであれば、それは自然を汚したも同然。

 ナコルルが熱い衝動に駆られながら入り口から入ると、話に夢中になっていたミカトとリムルルがナコルルの存在に気付く。

 いつものような温かい笑顔の出迎え。だが、今のナコルルにはこの出迎えは、かえって怒りに拍車をかけるだけとなってしまった。

「・・・・・・どうして、笑っていられるの?」

 ポツリとこぼしたナコルルの言葉を、ミカトもリムルルも理解できなかった。そして、そう言われなければいけない理由も、二人には思い当たらなかった。それがナコルルをいらだたせる。

「ど、どうかしたの?」

 ぷちっ

「どうかしたのじゃないっ!」

 ナコルルの中で何かが切れた。今まで溜め込んでいたものが抑えきれなくなったナコルルは怒鳴り上げ、正面に立っているミカトの喉を右手でつかむ。

 あまりにも突然の事で、まるでそこだけ時間が流れていないかのように空間が静止する。ナコルルはミカトの喉を掴んだまま、ミカトはナコルルの顔を見上げたまま、リムルルはナコルルの掴むミカトの喉を見たまま静止している。

「ぐっ、ぐるじ・・・」

喉を締め付け続けられて息苦しくなり、喉の中にあった物質が徐々に顔の上を昇っていくような感覚の中、唇を動かさずにかすかな声を漏らす。

 だが、それでもリムルルは動けなかった。

まるで、今自分の前に立っている女がナコルルでないかのように思った。今まで一緒に暮らしてきた中で一度も、ナコルルが人の首を絞めるなんて事をしたことが無い。

大体悪いことをしたとしても、ナコルルは優しくたしなめ、穏やかに反省させようとしてきた。今目の前の女がしている事は、普段のナコルルでは到底考えられないことだった。

「ね、姉さまっ!」

 我に帰ったリムルルがナコルルの腕に掴みかかる。ナコルルの腕をつかんだままじたばたと暴れ、ミカトの体から振りはずす。

 やっと開放されたミカトはその場で座り込み、両手で喉を押さえてむせ返る。頭まで上り詰めていた何かが、急に下に落ちた感覚が気持ち悪く、涙がとめどなくあふれてくる。

「姉さまっ!いったいどうしたの!?」

 いまだにナコルルの腕にしがみついたままのリムルルが、不安を隠しきれない表情でナコルルに問いかける。そんな必死なリムルルに対してナコルルは、ただ冷ややかな視線を送るだけであった。

「答えて!何があったの!?」

「・・・うるさい」

 必死なリムルルの問いかけもむなしく、ナコルルはそう冷たく吐き捨てて、勢いよくリムルルの体を振り払った。

その勢いが強かったせいで、振り払われたリムルルはしりもちをついてしまう。

 懇願するような、悲しみに包まれた表情でリムルルがナコルルを見上げるが、ナコルルはすでにリムルルの事を見ておらず、膝を付いたままうつむいて、苦しそうに息を荒くしているミカトの方を向いていた。

「釣った魚を腐らせたんでしょ・・・?」

「ご、ごめんなさい・・・」

 情けないくらいに声が震える。ミカトに尋ねるナコルルの声は穏やかだが、そんな今のナコルルが言っては、余計に恐ろしかった。

「・・・あなたも同じようにして、殺してあげましょうか?」

 部屋の温度がぐんと下がる。ナコルルの口から出るにはふさわしくない言葉、正気のナコルルなら最も嫌いそうな言葉をさらりと言ってのけてしまうと、ミカトとリムルルに一瞥をくれてから自分の部屋へ去っていく。

 

《前頁  戻る  次頁》