「はぁ、はぁ、はぁ・・・」
ナコルルの動悸が更に激しさを増す。自分の部屋に入ってから壁に寄りかかると、まるで立っていられなくなってずるずると床に崩れる。
「わ、私、何をしているの・・・?」
いまだ生ぬるい右手を眺める。今目に映っている右手が、ついさっきミカトの首を絞めていた。この右手が、リムルルを突き飛ばした。ナコルルが記憶している限りでは、ミカトとリムルルに手を上げたのは初めてだ。
徐々に頭の中が冷静になって来ると、ミカト達に手を上げたことによる罪悪感がナコルルを苦しめる。
いつも自分のために頑張ってくれているミカトの首を絞め、自分のために必死になってくれているミカトに「殺してあげようか?」などと残酷なことを言い、自分のことを心から慕ってくれているリムルルを突き飛ばし・・・。
「なんて酷いことを、私、私・・・」
謝らないと、あんな酷い仕打ちをしてしまったミカトとリムルルに謝らないと・・・。
いてもたっても居られない筈なのに、ナコルルの体は立ち上がろうとはせず、腕で両膝を抱えてうずくまる。
「謝らないと、早く謝らないと、でも・・・」
(きっともう、二人とも私のこと嫌いになってる・・・)
「ご飯の準備、出来たよ」
台所から出てきたリムルルが、勤めて普段通りを装いながら言う。
「今日はナコルル姉さまの大好物、ラタシケプだよ。結構自信作なんだ」
まるで、その部屋にはナコルルが居て、そのナコルルに語りかけているかのように話す。それは、ある意味現実逃避にも思えた。
そんなリムルルの声を聞いていたのはナコルルではない。居間の隅で両膝を抱えてうつむいているミカトだけだった。いや、おそらくリムルルの言っていることなど聞こえていないだろう。
(折角ナコルルの笑顔を取り戻したのに、僕のせいで、僕が、僕が・・・)
ミカトの目は限界まで見開かれ、まばたきすら忘れたその目から涙を溢れさせている。
たった一つのミスが、ナコルルの逆鱗に触れてしまった。
自然を、生き物を、ただ無駄に殺してしまった。それがナコルルは許せないことであるというのを知っていたのに・・・。
「ヤンタムゥにも、マナリにも、ナコルルの笑顔を守らないとだめだって言われたのに」
いつも一緒に暮らしている自分が、ナコルルの側に付いていてナコルルの心を守るって、そう誓ったばかりだというのに、その自分がナコルルから笑顔を奪ってしまった。ナコルルの心を大きく傷つけてしまった。マナリとヤンタムゥの期待を裏切ってしまった。
「謝らないと、ナコルルに謝らなきゃ・・・」
いてもたっても居られない筈なのに、ミカトの体は立ち上がろうとはせず、腕で両膝を抱えてうずくまる。
「謝らなきゃいけない、でも・・・」
(きっともう、ナコルルに嫌われてる・・・)
「ミカト・・・ご飯、食べよ?」
リムルルが心配そうな面持ちで、遠慮がちにミカトにたずねてくる。
いつもの調子であればリムルルは、落ち込んでいるミカトには、からかうかののしるかぐらいだったが、自分もミカトも精神状態がまともではない。こんな状態でからかいでもしたら、思わぬ大喧嘩を誘発しかねない。
リムルルの問いかけがミカトは聞こえている様子はなかった。リムルルも、無理に立ち直らせようとすることもなく、一瞬だけ残念そうな顔をしてミカトの側に食事を置いてから離れる。
「姉さま、きっとお腹空いてるよね」
台所からもう一人分の食事を持って、ナコルルがこもっている部屋へと入っていく。
部屋に入ってからすぐには、ナコルルの存在を捉えることは出来なかった。真横にうずくまっていたナコルルに気付くと、すぐに側に来てミカトの時みたいに声をかける。が、やはりミカトのときのように反応は返ってこなかった。
(ミカトも、お姉さまも、自分ばっかりずるいよ)
膝を抱えて落ち込みたいのはリムルルも一緒だった。あんな鬼気迫るナコルルが怖い、ナコルルに振り飛ばされた痛み、ナコルルの口から出てきた言葉、リムルルには大きなショックだった。
「・・・・・・」
でも、今ここで、自分までもが落ち込んでしまっていたら、ナコルルと仲直りできるチャンスも逃してしまう。リムルルは今でも、またいつもの優しいナコルルに戻ってくれると信じていた。
とはいえ、そんなに簡単に元に戻るとは思っていない。きっとナコルルにも何かがあったに違いない、ナコルルのほうから事情を話してくれるのを待つことにし、ミカトのときのように側に食事を置いて立ち去った。
「お姉さま、ミカトもわざとじゃないから、許してあげて」
・・・・・・
リムルルが部屋から出て行くのが気配で分かった。どうして、すぐ側にリムルルが居たのに話しかけなかったのか、さっきのことを謝らなかったのか・・・。
(やっぱりだめ、リムルルの顔が見れない・・・)
どうして、さっきあんなに酷いことをしたばかりの自分に、あそこまで優しい言葉をかけてくれるのか、足元にはご飯までもが用意されている。
(この匂い、私の好きなラタシケプ・・・)
メニューを見てみても、リムルルが自分のことを元気付けようとしているようにも思え、今はそんなリムルルの優しさが心に痛かった。出来れば放っておいて欲しかった。そうして、自分がやった過ちを戒めていたかった。
そんな風に考えていながらも、料理から立ち上る匂いは、ナコルルの食欲を活性化させていっていた。我ながら節操のないお腹だと、心の中で苦笑する。
無駄なことを考えていたら、だんだんと頭の中がすっきりしてきたような気がしていた。食欲を満たしたい、その欲求に駆られて料理の皿に手を伸ばし、一口を口の中に持っていく。
・・・・・・
美味しくない、というより味がしない。舌がしびれて味を感じることが出来ないせいで、皿の上の物を口に運んでも、空腹は満たされても心が満たされない。
自然と涙が流れてきた。ついさっき、お昼までのあの賑やかだった食卓が恋しくなる。
ミカトやリムルルもそう思っているのだろうか。こんなことをしてしまった私を受け入れてくれるだろうか・・・。
そうだ、さっきまでの私がおかしかったんだ。森でのあの光景を見ていて気が動転してたんだ。まだあのことは気がかりだけれど、今ならもう大丈夫。きっと勇気を出して謝れる。胸に手を当てて深呼吸をする。
(心を落ち着けて、冷静になって謝らないと)