第三章 豹変
村中の人間が寝静まり、明かりの灯った家などどこにもない時間にナコルルが目を覚まし、上半身を持ち上げる。と言うより、最初から眠ってなどいなかった。
眠りに落ち込もうとすると、瞼の奥に焼きついたあの光景が蘇り、夢にまで見る前兆なのではないかと考えると、怖くて眠ることなど出来ない。そして何より、森の中での少女の言っていた言葉がどうしても気になった。
(彼女なら、私のことを救ってくれるのかしら・・・)
随分と都合のいい話だと、自分で呟いておいて自分で鼻で笑った。そんな当ての無いのに頼らないといけないなんて、自分はよっぽど心が弱くなっている証拠だ。
もう、何でもいいからこの苦しみから解放されたい。そのためだったら、事件の犯人に復習してやりたいと言う気にさえさせる。
『これで分かったでしょ?あなたは戦いに出るしかないの』
『復讐しなさい。でないと、これからも被害が広がっていくだけ。大自然と共に生きられない人間なんて、排除してしまいなさい』
ドクンッ
大きく心臓が跳ね上がった。頭が痛い、目が痛い、心臓が痛い、両手両足が痺れる。喉が渇いて大きな欲求に駆られる。何に対しての欲求ではない、理由も分からず何が欲しいのかも分からず欲求だけが膨らんでいく。
「うう、ぐ、がぁっ・・・」
無意識に、ナコルルの考えとは別に、ナコルルの両手はナコルルの首を絞めている。目玉がれ落ちそうなほど大きく見開かれ、大きく開かれた口からはだらしなく舌が飛び出している。人には見せられないような醜態をさらしていることを、ナコルル自身は全く気付いていない。
自覚の無い行動は自分の意識で制御することが出来ない。流石にナコルルも息苦しくなってもがきだすが、自分の腕さえ満足に動かせないナコルルは、十分な酸素を取り入れることが出来ず、酸欠状態で意識が遠くなっていく。
全身から力が抜けたとき、同時に腕も首から離れていく。
艶やかな長い黒髪が、ナコルルの足に掛かる布団にまばらに広がる。
「ぐッ、かはっ、けほっ、けほっ、はぁ、はぁ・・・」
(もう、もうだめ・・・誰か、助けて)
さっき会った少女が何者なのかは分からない。でも、もう彼女にすがるしか道が無いように思えた。ナコルルは人間に制裁を加える覚悟を決めた。眠気などとうの前に吹き飛んでいる。
ナコルルは布団から這い出し、物置の奥にしまった巫女服を取り出してそれに着替え、眠りから覚めていないミカトとリムルルをそっとしておき、戦に出かけるときは必ず持ち歩く宝刀“チチウシ”も、側で寝ているママハハを起さぬ為に持たずに家を出っていく。
森の中に入ってからどれだけ歩いたことか、夕方に少女と出会った場所を覚えていないナコルルは、ただ闇雲に足を進めていくだけだった。
昼も随分と歩いたせいで、体力的疲れと足の疲れが更に蓄積されていく。あの時のように意識がとしてないにもかかわらず、真っ直ぐに歩くことが出来ないでいる。
(彼女なら、彼女なら私を助けてくれるかもしれない)
たったそれだけが、ナコルルを突き動かしている活力となっている。だがそれももうそろそろ限界だ。疲労、足の痛み、眠気があがなえないほど膨れ上がり、地面に両手両膝を付き、四足歩行で側の木まで歩み寄り、その気に背中を持たれかけてうなだれる。
布団の中ではあんなに寝苦しかったのに、どういうわけかここでは安らかに眠れそうな気がした。まぶたが重くて全身がだるい。
(探さないと、早く、探さ・・・)
ナコルルが心の中で呟きながらも、鉛のように重くなった瞼がぴったりと閉じられ、スースーと安らかな寝息を立て始めた。