どこから現れたと言うわけではない、黒い服に身を包んだ少女レラと、いつも側についている狼のシクルゥは木の上から降りて来た訳でも、森の奥から現れたわけでもなく、ただそこに居た

(どうして戦いを拒むの?)

 レラは、以前からナコルルに戦いを促してきた。

ナコルルが自然に仇成す者を倒し続け、自然の敵を根絶やしにすることを望み、ナコルルにとっては最も嫌う行為でもある。

もともと人を無闇に傷つけるのが好きでないナコルルには、レラの持つ考えを素直に受け取ることは出来なかった。

 自然を破壊しようとする人間は全力で更正させ、自然を破壊する魔を打ち払うナコルル。

 自然を破壊する者、自分に仇を成す者であれば、人、魔、動物問わずに排除するレラ。

 これだけ考えが正反対な二人では、決して二人の意見が合致することが無い。二人は常に対極の存在であった。

「あなたが戦いから逃げなければ、こんなに苦しまなくても済むのに・・・」

 ズズッ、ズズッ、

 自分の思い通りにならないことに苛立ちを感じ、どこか遠くを眺めながら一人呟いていたとき、正面から何かが引きずる音が聞こえてくる。

 何ごとかとナコルルのほうを向き直るが、ナコルルは以前、眠り込んだままだ。変わった様子は見られない。しかしシクルゥは、身を少しかがめて唸り声を上げ、今にも飛び掛らん勢いの体制を取っている。ナコルルの身に何かが起きていることは確かだった。

不思議な音を発しているナコルルに少し近づいたとき、ナコルルに異変が起きた。

「ナ、ナコルル?」

 いまだ眠りに付いているナコルルの体に、木の枝のようなものが這い回っている。

 一本の枝がナコルルの首に巻きつき、続いて両手、両足、腹に巻きつき、ほぼがんじがらめに近い状態になっていく。眠りに付いたままのナコルルは、その枝に抵抗することもなくされるがままだ。

 目の前で起きていることが余りにも不可解すぎて、レラは恐怖に似た感情にとらわれ、その場から足が動かなくなっていた。

体が震えている。恐怖と言う感情を持ったことがほとんど無く、感情を表に出すことの無いレラは、自分が恐怖と言う感情を持ったことに驚きを覚える。

木の枝に押し出されるようにして、ナコルルの上半身構えに押し倒されると、ナコルルの体に巻きついている木の枝が、寄りかかっていた後ろの木からだということが分かった。

木の幹から、無数の触手がうねうねとうごめいており、それらが徐々にナコルルの背中に近づいている。

 ズシュッ

「!?っっっガアァァァァァーーーーーーーーーーーー」

 おおよそ少女が発するには相応しくない断末魔が、大きく開かれたナコルルの口から飛び出してくる。一部の木の枝が突然勢いを付け、巫女服に包まれたナコルルの背中に突き刺さった痛みが、眠っていたナコルルの目を覚まし、理性を吹き飛ばしてしまっていた。

「な、何ッ!?イタ、痛い・・・あがあぁっ!!」

「うっく、ぐぅあ・・・」

 ナコルルが身を引き裂かれるような痛みに悶えている正面で、レラまでもが苦痛の表情を浮かべてその場で地面に手を付いてしまう。

今、ナコルルが身に受けている痛みが、そのままレラにまで及んでいた。なぜなら、レラはナコルルなのだから・・・。

 ナコルルの体が少しずつ宙に浮いていき、ナコルルの身長の三倍くらいの高さで、体を大の字にされ仰向けの状態で静止する。そうなってからも木の枝は、しつこいくらいにナコルルの中に進入してくる。

「イダ、グルジィ・・・」

 涙とヨダレで汚れた、だらしない顔を天に向け、苦痛の声を無理やり喉からひねり出す。

背中から血をぼたぼたと垂れ流し、地面の土や葉を赤黒く染める。

 レラは何もすることが出来ずに倒れた。背中の痛みのせいで体が動かないと言うのもそう、ナコルルがチチウシを持ってこなかったため、レラには武器が無かった。レラの持つシカンナカムイ流刀舞術も、チチウシを持たねば何の役にも立たない。

 隣にいたシクルゥが、レラの腹の下に頭を移し、頭を上に上げてレラの体を持ち上げ、自分の背中にすべり落とす。

「シクルゥ、あの木へ・・・」

 レラの言葉に従順なシクルゥは、レラを背中に載せたまま、木の枝の発生源である木の側へと駆け寄る。

 近くで見ると、想像以上にグロテスクな枝の群れ。そのうごめく枝に拘束され、背中を貫かれていることを想像すると、全身に鳥肌が立ちそうだ。痛みはあるが、実際に貫かれているのがナコルルなのが幸いなのだろうか?

「うぐっ・・・何故、何故このようなことを・・・」

 ナコルルに負けぬ痛みに耐えながらも、目の前の木に向かって訴えかける。

シクルゥの背中にのたれ掛かっていると言う、あまりにも不恰好な様であるが、今はそんなことを気にしている場合ではない。

 空からぽたぽたと、ぬめっとした生暖かい液体が降ってきて、それはレラの顔にも降りかかり、レラやシクルゥの背中を赤く、斑点状に染め上げていく。上を向けば、そう遠くない所にナコルルの背中がある。ナコルルの小さな背中に、いびつな形の木の枝が入り込もうとしているその光景は、小さな悲鳴を漏らす程に生々しかった。

『コワイ、ナコルル、タスケテ』

 かすかに聞こえた声、それが目の前の木の物である事に気付くのに、そう時間は要らなかった。半狂乱なナコルルでは、声が聞こえたことにさえ気付かなかっただろう。いくらか冷静なレラには、自然の声を聞く力がナコルルより弱くても聞き取れた。

(・・・助けて?)

「お前は、ナコルルに助けを求めているのか?」

『ナコルル、ナカ、ハイル、アンシン』

(この木は、自然の危機を察知して、ナコルルに助けを求めている)

 レラはその時、この木の高さがだんだん低くなっていることに気付いた。時間が経つごとに、その気は大きさを縮めていっている。

(この木、自分を枝に変えてナコルルに入り込もうとしている・・・)

「よせ!そんなことをしたらナコルルが壊れてしまう!!」

『ナコルル、ナコルル・・・』

 無我夢中になっていて、レラの言葉など聞こえていない。もしかしたら、自然と会話する力を持たぬレラの言葉では、木に対して言葉を伝えることが出来ないのかもしれない。

 シクルゥが咆哮をあげる。まるでシクルゥも止めているのかもしれないが、枝の勢いはとまることが無い。

今にも頭上の枝に噛み付きたい衝動に駆られているのだろうが、背中にレラが乗っていてそれも出来ない。レラが命令しなければ、レラを地面に降ろす事もしないだろう。

「やめて、お願い、このままじゃ、ナコルルが、死んじゃう」

 背中の痛みが耐え難い大きさにまで膨れ上がり、頭を振って懇願する。自分が助かりたいのではない。自分が死ぬと言うことはつまり、ナコルルの死を意味しているのだ。

 いつの間にか、目の前の木のがレラの目線にまで縮んでいた。それは、見上げてもが見えない木の縮んだ分が、全てナコルルの体に収まってしまったと言うこと。物理的に、現実的にありえないこと、信じられないことが目の前で起きている。そしてなおもその木は委縮を続ける。

 段々と、レラも意識が遠くなっていく。でも沈みきりそうなところで痛みによって引き戻される。そんな状態が続き、思考回路が焼ききれそうになる。

目の前の木が姿を消し、根っこの部分までもが枝となってナコルルの中へと飲み込まれていく。やっと、痛みから解放された・・・。

 体の支えを失ったナコルルの体は地面に吸い寄せられ、勢いよく地面に衝突して木の葉を舞い上がらせる。落ちてくる前にシクルゥが飛び退いたため、レラ達との衝突は免れた。着地したとき、その弾みでレラの体が地に転げ落ちる。

 レラはなんとか意識を保っていられたが、ナコルルはすでに意識を失ってしまっているようだった。

 ふとレラが、木の生えていた場所に目を向けると、そこには木が在るどころか、あたかも最初から存在していなかったような、木があった跡すら残っていなかった。

「・・・」

(あんな巨大な木がナコルルの中に、私の中に・・・)

 レラは自分の腹を抱えこむ。まるで、内臓まで食い尽くされて、この体の中はさっきの木で一杯になったような・・・。

「うぐ、がはぁっ!」

 体に異変があるわけではない、ただなんとなく気持ち悪い。なんとなく感じる異物感・・・。

「げぇっ、ぐうぅっ・・・」

 立ち上がれない、体から急激に力が抜けていく。

 かさ、がさ、がさ・・・

 自分以外の何かが音を立てる。レラ以外で音を立てるのはシクルゥか、ないしは・・・。音がした方では、意識を失っていた筈のナコルルが立ち上がろうとする。がくがくと震えながらも上半身だけ起こし、丁度レラに背を向けるように座る。

「・・・っ!?」

 レラの目に、本来映るはずの無いものが映っていた。ナコルルの背中に張り付いた茶色い塊、ナコルルが怪我を負っているであろう場所を覆い尽くすような丸い塊が、心臓の鼓動のごとく脈動している。ナコルルが立ち上がってレラの方を向くと、ナコルルの顔、胴体、腕、足、いたる部分に枝が巻き付いていることが確認できる。

「・・・ナコルル?」

 自分の事もままならないのに、レラはナコルルの事を心配する。例え痛みの度合いが同じだとはいえ、直接手を加えられたナコルルのほうが辛いはず。

ナコルルの方が辛い目に逢っているのならと思うと少しは気が楽になる。

レラは、レラの背中に鼻を寄せているシクルゥにしがみつく様に立ち上がり、じっとこちらを見ているナコルルの元によろよろと歩み寄る。ナコルルもレラに向けて歩き出す。

「ナコルル、無事?」

「・・・」

 ナコルルの表情を完全に捉えた位の時に声をかける。

ナコルルは答えない。表情も無い。ナコルルの事を気遣っているレラに対して、表情を変えることなく無機質な目を向ける。

レラは思わず足を止めてしまった。ナコルルの様子が明らかにおかしい、ナコルルの目がレラを捉えているが、なんだかレラのことが見えていないようにも見える。レラの不安をよそに、ナコルルはレラの目の前に立つ。

「ナコルル?」

鋭く、光を映してないように見えるその目が、自分を獲物としか捕らえていないような錯覚させられる。

今目の前に立っている少女が、あのナコルルと同一人物だと言うことすら信じ難い。

「・・・震えているの?」

 いつもより少しトーンの低いナコルルの声。怯えている、それはすでに自覚していた。

目の前に立つナコルル、それは自分の筈なのに、レラにはナコルルが理解できない。

自分自身を理解出来なくなった不安、そして蛇に睨まれたカエルの様な危機感が、レラの中から恐怖を引きずり出している。

「ねえ、復讐するんでしょ?どうすればいいの?」

「そ、そうね、まずはこの森を抜けた所にある村を壊しに行きましょ。その村に、今日の出来事の犯人が住んでいるわ」

「そう・・・」とナコルルがつぶやいて目をつぶり、少ししてから目を開けると、目の前にレラの姿は消えていた。レラはナコルルの中へと消えてしまったのだ。

 ナコルルの頭の中に記憶が流れ込んでくる。

様々な動物達が足を休めている空間に数人の男達が踏み込んで来、近くの動物を捕まえてはナイフを突き刺し、逃げていく動物へ矢を射る。

その場にいればきっと止めに入っていたであろう場面が、映像として頭の中に映る。そしてその男たちは、昼にナコルルが見た状態を作り上げた後に、品の無い笑い声を上げて去っていく。

 ナコルルは決して忘れない。

鹿の背中を抱え込んでナイフで脇腹を刺しているときの狂気に満ちた表情を。

兎の頭をつかんでナイフで首を切り落とす男の汚らしい舌なめずりを。

 逃げていく狐に弓を構えている男の血走った目を。

「・・・殺す」

 

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